私のタロット遍歴(5)

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さてさて商業的なデビューといってもそんなに忙しいほどお客さんがくるものでもありません。最初のうちは一日一人等いういのは当たり前で0の日もありました。それでも、場所がよかったこともあり、半年もすると1日3~5人くらいはリピーター客を中心にコンスタントに、となりました。他の仕事もやりながら週に3~4日占い師をしていました。ただ、段々他の仕事が忙しくなり、最終的には件の先輩が週休2日とりたいという話から、私が固定でいる日は1日5時間週2日に落ちつきました。

専業の占い師をやる日は減ったものの、仕事先で私が占い師だと知ると観てほしいと会社経営者の自宅に招かれたり、パーティーに招かれたり、どうのこうの言いつつもほぼ毎日誰かしら、何かしら占っていました。この頃は色々な職業、色々な年代の人の様々な問題を占うのが楽しくて呼ばれればどこへでも基本的には出向いていました。今にして思えば、この頃本当に様々な占いをさせていただいていたことで、世の中を見る目が大きく広がったと思います。

そのような感じで数年間更に過ごしていたときに何度も鑑定していたお客さんに「ちょっと紹介したい人がいる」と言われました。基本的に私の場合は紹介、紹介、という感じで広がっていたのでそれ自体は決して珍しいことではありませんでした。しかし、その時はちょっと雰囲気が違いました。ともかく人目につかないようにと車の迎えが来て、とある料亭に連れてこられました。そのお客さんと私が料亭の一室に通され、10分ほどすると二人の男性が入ってきました。一人は恰幅が良い少し偉そうな感じのする人で、もう一人はやせ型で如才ない感じの男性でした。しかし、この偉そうな方の男性、絶対に初対面のはずなのですがどこかで見覚えがあります。こちらが名刺を差し出すと、相手も「ああ、そうか」という感じで名刺を出してきました。何かテンポが狂うな、と思いながら受け取るとやせた方の男性の肩書が「秘書」で、恰幅の良い方の男性の肩書には「衆議院議員」と書いてありました。どうりで見たことがあるはずです。国家中継とかそういうので見ていた人でした。

一渡りの挨拶が終わって料理が運ばれてくると「まぁ、食べなさい」と進められ、食事を頂きながら色々な質問をされました。それに一つ一つ応えていくと最後に「選挙で絶対に勝つ方法っていうのはあると思うかい? 」と聞かれました。私は「絶対に、というのはないと思います。ただ、例えば選挙期間中にどういうルートで演説をすれば良いとか、どの時間帯が良い等を丁寧に一つ一つ占っていけば相当に当選確率は上がると思います」と応えました。議員さんはふむふむという感じにうなづいて、その後は世間話で終わりました。

それから数カ月して衆議院の解散がありました。それをニュースで見ながら「議員というのも大変だなぁ、いつ無職になるかわからない仕事だものなぁ」と思っていました。するとその日の午後、いきなり知らない人から電話が来ました。話を聞いているとどうやら知らない人ではなく、料亭であった議員さんの秘書の方でした。そして「よければ選挙本部に来て、あなたが言っていた、全部丁寧に占ってみる、というのをやってみませんか?」と言われました。私は一瞬悩みましたがこんな機会はそうそうあるものではありません。すぐに「ぜひお願いします」と応えました。

選挙中は本当に体力気力の限界を何度も見るような苛酷さでした。選挙戦という言葉がありますが、あれは本当に「戦」です。まづ全日程の予定とルートを大まかに出してから、細かい場所などをどんどん占っていきます。そうしている間に秘書の方や後援会の方々から「いついつに〇〇さんと会う予定を入れてほしい」「××エリアで〇日に演説を入れてほしい」などというのが飛び込んできます。そうなるとできるだけその意向に沿うようにしながら占って修正をしていきます。そんな感じで1日2~3時間睡眠で選挙期間中泊まり込みでひたすら占っていました。結果は今まで次点で当選だったのがダントツのトップ当選でした。選挙後その議員さんの顧問占い師になりました。

その後、地方選挙の時や参議院選挙の時もその議員さんから紹介されてきたという方が見えて、同様に選挙のお手伝いをさせていただきました。ちなみに件の議員さんはその後の選挙でもお手伝いさせていただき、最後は大臣になり、引退されました。

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